2010年5月アーカイブ

見えないものはだれも気づかない

見えないものはだれも気づかない。 世の中、そういうものと諦めるしかないようだ。 誰もがスポットライトを浴びている訳ではない。 裏で支える強い柱があるから、社会は円滑に動いているというのに。 表象。 そこだけに目を向けて、どんな意味があるというのだろう。 華やかな表舞台にだけ目を向けていては、本質は見てこない。 本質を見なければ、本当の姿は見えてこない。 本当の姿が見えなければ、より良きものを作り上げることなんてできるはずがない。 氷山の一角。 海面に浮かんでいる氷山は、その全体の一部にしかすぎない。 それをあたかもすべてであるかのように考えていては、何も見ていないことと同じ。 本質的議論なきところに、新しいものは生まれてこない。 そしてそこに未来のより良き社会は見えるはずがない。

株価下落から思うこと

東証平均株価は、終値で今年の最安値を更新。
けっしてありがたいニュースではありません。

ギリシャの実質的な財政破綻。
スペインの銀行の実質的な破綻。
それに伴うヨーロッパ経済への不信感。

経済的な問題でいえば、日本からは遠いかの地で起こったことが影響しています。

もちろん朝鮮半島情勢の先行き不透明な状況が影響していることも確かでしょう。
日本だけでなく、世界のつながりの強さを実感せざる終えないことになりました。

日々の生活のなかでは、あまり意識しない世界の動き。
しかし、気がつかないところで、自分が世界の動き密接に関わりを持っていることを実感せざるを得ません。

国家としてのそれぞれの国の自立と、目に見えないところでの深い結びつき。

グローバル化、という安易な言葉だけで語ってはならない強い結びつきが感じられます。
日本の中の自分と、世界の中の自分。
そのことが、同じ意味を持つように思えてならないのです。

一部の人にしか利益をもたらさないことが、組織として本当に必要なのでしょうか。
組織として、そこに属するものすべてに、如何に利益をもたらすかを考えるべきではないのでしょうか。

組織が大きくなれば、それが国家。
その構成単位は、さまざまな組織ということができると思います。
家庭、もしくは家族がその最小単位でしょうか。

家庭であっても、そこに属する誰かだけが得をすことなど許されないと思います。
みんなの幸せを考えなければ、家庭は破綻するはずです。

夫婦という構成単位を原則とする家庭でさえそうなのです。
より社会的な色合いの濃い、他社的な人間関係においては、なおさらではないでしょうか。

私利私欲を求めれば、組織は破綻します。
ほんの少しの綻びが、徐々に拡大し、気がついた時には、修復できない状況に陥っているということがあるのです。

社会にあっては、誰しもが公に奉仕する意識を持たなければならないと思っています。
自分という私と対峙する公という意味です。
その公を私化する考えが蔓延り過ぎてはいないだろうか。
だから混乱は眼に見えず、誰しもが疑問を抱え続けることになるのではないだろうか。

いまこそ私よりも公を重んじる発想を大切にすべきと考えています。
政治、経済などさまざまな混乱を、正常に戻すためには、公という概念を我々はひとりひとりが考え直してみる必要に迫られていると確信しています。

のんびり隠居生活を目指します

日常に疲れ果てました。
もう十分です。
もう充分です。

早々に隠居する手だてを考えます。
どうすれば早く隠居生活に入ることができるかだけを考えることにします。

なにも考えず、のんびり暮らしたい。

疲れました。
のんびり、を目指します。

直接的な効用だけに目がいってしまう

目に見えることだけで、社会は動いていない。
むしろ、見えないところの方が社会を支えている。

見える部分だけでは、社会のほんの一部を見ていることにしかならないのです。
表象。
それだけでは、何もわからないはず。

しかしそれが価値の基準として蔓延り過ぎている。

直接的な効用だけに目がいってしまう

目に見えることだけで、社会は動いていない。
むしろ、見えないところの方が社会を支えている。

見える部分だけでは、社会のほんの一部を見ていることにしかならないのです。
表象。
それだけでは、何もわからないはず。

しかしそれが価値の基準として蔓延り過ぎている。

直接的な効用だけに目がいってしまう

目に見えることだけで、社会は動いていない。
むしろ、見えないところの方が社会を支えている。

見える部分だけでは、社会のほんの一部を見ていることにしかならないのです。
表象。
それだけでは、何もわからないはず。

しかしそれが価値の基準として蔓延り過ぎている。

何事も思ったように進まないとストレスを感じてしまいます。

ストレスを感じること=ストレス感

特に体調の悪い時はダメですね。
ストレス感がドンドン高まって行きます。
しかも、そんな時に限って、うまくいかないことが、わんさか起こるものです。

イライラする感じ=イライラ感

イライラ感もドンドン高まっていきます。
我儘と言われれば、その通り。
身勝手と言われれば、その通り。
間違いありません、我儘で身勝手なのです。


日常のストレス。
仕事をしていてもストレス感。
家に帰ってもストレス感。
逃げ場がないんですよ。

ストレス感から逃げ出したい!

何度も、何度も、同じことの繰り返し。
結局、聞いていないのと同じ。

良い加減、疲れました。
あいつも、こいつも。
どいつも、こいつも。
どうしてこうも逆らい続けるのでしょう。

そのストレスが絶大。
言ったことが、無視されるかのような扱いの繰り返し。
何度も、同じことの繰り返し。

いったいなんの怨があるというのでしょうか?
理解できません。
まったく理解できません。

自分の方法を押し付けられても

まったく無関係に、自分のやり方を押し付けられても、そりゃぁ無理でしょ?
どうしてそんな無理じいをするかが理解できない。

データベースには、取り決めがあります。
それを無視しては、データのインポートができるはずがありません。

決められたやり方。
そのルールに基づいて、データベースは作られているのです。

自分のやり方を押し付けようとしても、無理ですよ。

どうして、言われた通り、指示に従わないかがわかりません。
結局、尻拭いはこちら。
勝手に作ったファイルをインポートできるように編集しなければなりません。

理解に苦しみます。
怒りすら覚えてしまいます。

なぜルールに従うことを拒否するのでしょうか。

http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20100512-00000019-jij-int

キャメロン氏は11日、エリザベス女王の招きでバッキンガム宮殿を訪れ、首相就任の要請を受諾。その足で首相官邸に赴き、「保守、自民両党が立場の違いを乗り越え共に働くことが強く、安定した政府をつくるための正しい道だ」と表明した。同氏は現在43歳7カ月で、44歳になる直前に首相に就いたブレア元首相を抜き、1812年以来で最も若い首相となる。 

新しいイギリスの首相のキャメロン氏。
1966年10月9日生まれだそうです。

げぇ、同級生じゃんか!

http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20100507-00000568-san-bus_all

NTTは7日、世界で初めて毎秒1ギガビット(1ギガは10億)を超える無線LAN(構内通信網)の通信技術の開発に成功した、と発表した。最新の無線LANの通信技術(毎秒で最大100メガビット)に比べて10倍速いほか、固定通信である光ファイバー並みの速さを実現した形だ。

光ファイバーと同じ速さの無線LANができたら、良いですねぇ。
そんなに速くてどうするんだ、という気がしないでもありませんが・・・。

ネットワークは速く方が良い!

そうなると、いろいろな新しい社会が見えてくるはず。
即時的に繋がる社会が形成されていくはずです。

より大容量を、より容易に送信できるようになれば、仮想社会がまた一歩、現実の社会に近づくはずです。
ネット社会が仮想としてあるのは、「向こう側」あるからです。
こちら側になるほどの大容量の転送が可能になれば、「向こう側」への考え方も大きな転換を迫られるはずです。


理念があるように装っても所詮は机上の空論です。
理念が遂行できるのは、その掲げる内容をきちんと理解しているからです。
わかったふりをして、理念に基づいたふりをしてしても、何も生まれてこないのです。

理念は支えであって、現実ではありません。
現実ではない理念を、如何に具体的に実行していくかが重要なのです。

そのためには、常に、理念を検証し続ける態度を欠くことはできません。
理念が独り歩きしないように、常に、検証を続けなければならないのです。

常に、理念に対して、単純な問いかけを続けなければならないのです。

それは何か?
それは果たして本当に正しいのか?

そういう問いかけなしには、理念が独り歩きを始めて、内実を伴うことなく空論に成り下がってしまうのです。
必要なことは、常に検証を続けることなのです。
常に単純な疑問を発して、問い続けることなのです。

http://wkp.fresheye.com/wikipedia/カール・マルクス

カール・ハインリヒ・マルクス(Karl Heinrich Marx, 1818年5月5日 - 1883年3月14日)は、ドイツの経済学者、哲学者、革命家、ジャーナリスト。20世紀において最も影響力があった思想家の一人とされる[1]。

マルクスは1883年になくなっています。
1883年といえば、明治16年になります。

明治時代に、いまに至るまで大きな影響を与える理論を構築するというのは、凄い、としか表現が見つかりません。

1818年から1883年の間。
世界はどんな時代だったのでしょうか。

マルクスはネット社会を知らなかった

近ごろ気になる国家論。
民主党政権の迷走。
沖縄米軍基地の移設問題。
北朝鮮の不可解な動向。
アイルランドやギリシャの経済危機。

一気に全世界に影響を与えたリーマンショック。
さまざまな問題が、対岸の火事ではなく自分のこととして降りかかってくる昨今。

ネット社会によって、関係としての距離が大きく縮まってしまいました。
仮想であったはずの社会が、半現実のものとなり、見えない恐怖は増大するばかりです。

マルクスは20世紀に最も大きな影響を与えた思想家と目されることがあります。
エンゲルスとともに築き上げた国家論は、経済を源泉としながら、政治や社会、文化などあらゆる側面に大きな影響を与えました。

マルクス・エンゲルスが作り上げた国家論を信じる信じないということではありません。
マルクス・エンゲルスの理論が影響を与えるのは20世紀。
しかしこの二人が生きたのは、19世紀。
つまり、事実として、マルクスもエンゲルスも、ネット社会を知る由もなかったのです。

19世紀の段階で、ネット社会がこうも実生活に影響すると、誰が考えたでしょうか。
ネット社会がこれほどまでに、現実に影響を与えると、誰が想像できたでしょうか。

いま、我々にとって、ネット社会はあって当然の世界。
仮想的社会が現実社会を逆転する現象さえ起こりつつあるように思えてなりません。

ネット社会があることを前提にして、新たな国家論が欲しくなります。
過去を振り返り、現実を見つめ直し、未来への視座を提供してくれるような理論に渇望感を拭い去ることができません。

いまマルクスが生きていたら、何を考えただろう。
いまエンゲルスが生きていたら何を考えるだろう。


ネット社会が生まれたことが、さまざまな側面で影響を与えています。
その本質を捉えるためにも、マルクスもネット社会を知らなかったと考えることで、新しい国家論が生まれる気がしてなりません。
事実を事実として掘り起こすことこそが、最も大切であることを確認しなければならないと思っています。

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